古典調律の響きに乗せて
2023/02/24
先述した「RYORYO Solo Concert」で頂いた調律依頼、それはRYORYOさんご自身が指定する古典調律で、というものでした。
古典調律については以前もお話したと思いますので詳しくは割愛しますが、普段我々が一般的に使っている平均律というドレミファソラシドの音階よりほんの少しピッチをずらし、ある独特の和音の響きを出すことのできる調律方法のことです。鍵盤楽器で平均律が一般的になる1800年代以前は鍵盤楽器は様々な方式の調律法が使われていました。
その数ある古典調律の中でも今回は「Bach-Seal(1/5)」という調律法です。
ヴェルクマイスター(1/4)ほどは偏っていず、しかしヴァロッティやヤングの1/6よりは響きの美しさが充分出てくる、そんな調律法でした。
なぜこの調律法だったのか、それはRYORYOさん曰く、一番自分の声を響きに乗せられる調律だったから、ということでした。
実はBach-Sealは僕も知らなかった調律法です。
ご本人からデータを頂き、それに沿って調律したわけですが、非常に響きのクリアーな、文化会館ホワイエのヤマハCSが、何かピアノとちょっと違う楽器にさえ聴こえた、ユニークで素敵な音でした。
RYORYOさんが言われるように確かに彼の声がいつものピアノの平均律のある意味ギザギザした響きに乱されることなく、綺麗に乗ってきていたような気がしました。
コンサートが終わって、そのことをRYORYOさんに話したら、「はい、まさに僕の声がよく乗るようにと、僕の声に合わせて調律法を選びました。」という返事でした。
すごくないですか?
もしかしたらRYORYOさん恐るべき感性をお持ちなのかも、(いや、絶対そうなのです)と、人間一人ひとりが持つ秘めたる可能性に感動しました。
不思議な歌のコンサート
2023/02/24
2月19日シンフォニアテクノロジー響ホワイエで行われました「RYORYO Soro Concert」のピアノ調律の依頼を頂き、調律をさせていただいたのと、その後のコンサートも聴かせていただきました。
調律もコンサートも大変面白いものでした。
調律については後述するとして、まずコンサートはRYORYOさん(音楽家/サウンドアーティストで30代の爽やかな男性の方です。)がピアノ、生ギター、エレキギター、キーボード等を使い、自らのボーカルを交えオリジナル曲のソロ演奏をしていくというものです。
今回は伊勢市の文化事業に参加する形で、題材に「天岩戸物語」を選び、1時間ほどのコンサートでした。
曲の間にそれぞれの曲の成り立ち(すべてRYORYOさんのオリジナル作詞作曲です)などの話があり、それぞれの楽器を生かした、そしてその上に自身の軽やかなテノールボイスを乗せていくというものなのですが、ちょっと普通に言えばつかみ所のない、なんとも不思議なコンサートでした。
ところがそのコンサートが終わってみると、何かが心にずっと残ってしまっているのです。
何かわからないけれど、曰く言葉では伝えることのできない何かが伝わってきてたような気がするのです。
コンサートの本質というものを考えさせられました。
コンサートは決して演奏家のテクニックを観にいくものでなく、いやもちろんそんな面もありますし、そういう楽しみ方もあるのは決して否定はしないし、むしろそんなコンサートこそが主流ではあるとは思いますが、今回のコンサートはそんなことを超越した、何かがあったように思いました。
要は演奏者本人が何か強烈に伝えたいことがある、そのパワーこそが演奏に乗ってオーディエンスに伝わっていくのだと、僕は感じました。
演奏にとって一番大事なものかもしれないです。伝えたいことがある、その止むに止まれぬ気持ちが、演奏に見えないパワーを与えて、人々に伝わっていくものだと、それこそが演奏をする、一番大事なことではないかと、そんなことを感じました。
未だに何か心に残っています。
言葉では言えない何か。RYORYOさんの人間性の部分なのかもしれません。
調律については別記事で書きます。
明けましておめでとうございます
2023/01/08
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
益々がんばります!
合唱を「卒業」
2022/04/20
17日日曜日は三重県文化会館大ホールで三重バッハ合唱団の演奏会に合唱団員として参加しました。
演目は本山秀毅先生の指揮によるJ.S.バッハのヨハネ受難曲。ドラマチックな展開の曲間に入るコラールがまた胸を打ちます。
二千年前に起きた出来事を後の人々がどのように捉えていくのかというひとつの命題に対する偉大な答えに心を動かされます。
そしてもう一つ、今回の舞台を最後に僕は合唱の歌う世界から身を引こうと決めました。
僕が合唱を始めたのは高校一年の時です。
その後社会人になった直後に数年合唱から離れましたがその後ずっと延べ50年近く歌い続けてきました。
ただ2年前からのコロナ過の中、所属するもうひとつの合唱団の指揮者の他界、それに1年以上も合唱練習ができない中、いろいろと考えさせられました。
辞める一番大きなきっかけはコロナで一年以上合唱活動が中止になり、すると空いた時間と心の余裕が自分の仕事にいい変化をもたらしたことです
やはり時間と心の余裕の中ひとつの物事に集中するというのは大きな力を発揮するものだと強く感じました。
だったら残りの人生、あまりたくさん残っていない自分の時間を自分の一番したいことに使おう、ということにしたのです。
今は仕事に行くのが一番楽しいです。
合唱活動はここに書ききれないほどのたくさんのいい影響と人生の学びを僕に与えてくれました。今までずっと一緒に活動してきた仲間、たくさんの素晴らしい教えと言葉を与えてくれた先生方、それら全てに心から感謝しています。
合唱があったおかげで僕の人生は間違いなく幸せで豊かなものになりました。
それとあまり言うことではないかもしれませんが、自分の調律の仕事に非常に多くの気付きを与えてくれました。音楽をする側としていつも身近で見て創る体験は何物にも代え難い経験でした。
調律師としてこんな体験ができたことは非常にラッキーだったと思います。
お世話になった皆様、本当にありがとうございました。僕は幸せでした。
そしてこれからは僕の新たな人生のスタートです。
今後共ご指導ご鞭撻のほどをどうかよろしくお願いいたします。
古民家「ヌフ松森医院」のドイツ製Schimmel
2021/05/30
先日、兵庫にお住まいの古くからの知人から依頼を頂き、神戸まで夫婦で出張調律(再生)に伺いました。
素晴らしい体験ができました!
神戸市と言っても北区の随分山の中の地域。
元病院の古い木造家屋に50年近く?全く手付かずで眠っていた(ピアノも家屋も)、独シンメル社のアップライトピアノです。
鍵盤は言うに及ばずアクションやら、まあ大変な状態になっていました。(調律師はまあこんな場合、参った参ったと言いながら実はワクワクしてるのですが笑)
まさしく再生中のその建物「ヌフ松森医院」と言います、その元病室に泊らせていただき、(そこは宿泊できるように綺麗に再生されておりました。)およそ1日半かけてなんとかほぼ満足いく状態にできました。
二日目の午後からはやはり同じく古くからの知人ピアニストに大阪から来ていただき、数曲でしたが試弾していただきました。
思わぬサロンコンサートになり、最後に華を添えていただきました。感謝です。
一日目の夜、食事も済ませてから更に再生に取り組み、なんとか格好のがついてきたところで、もう夜の11時を回っておりましたが、家内がドビュッシーのアラベスクを試弾した時、その落ち着いた灯りの中で、思わず、お話に伺っていた今は亡き元々の持ち主である病院の奥様が出てきて、「ありがとうございました。」と、深々とお辞儀をして頂いたような、不思議な、そしてリアルな体験をしました。
僕も心で応えながら、喜びで胸が一杯になりました。
楽器を再生するということは、今の持ち主だけでなく、その楽器の歴史に関わったいろんな方々にもその喜びを感じていただけるものなんだと、そのピアノの数十年の歴史に、改めて想いを深く巡らせることができ、大変貴重な、いい経験ができました。
このような機会を与えてくれた関係の方々に深く感謝です。ありがとうございました。