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古民家「ヌフ松森医院」のドイツ製Schimmel
2021/05/30
先日、兵庫にお住まいの古くからの知人から依頼を頂き、神戸まで夫婦で出張調律(再生)に伺いました。
素晴らしい体験ができました!

神戸市と言っても北区の随分山の中の地域。
元病院の古い木造家屋に50年近く?全く手付かずで眠っていた(ピアノも家屋も)、独シンメル社のアップライトピアノです。
鍵盤は言うに及ばずアクションやら、まあ大変な状態になっていました。(調律師はまあこんな場合、参った参ったと言いながら実はワクワクしてるのですが笑)
まさしく再生中のその建物「ヌフ松森医院」と言います、その元病室に泊らせていただき、(そこは宿泊できるように綺麗に再生されておりました。)およそ1日半かけてなんとかほぼ満足いく状態にできました。
二日目の午後からはやはり同じく古くからの知人ピアニストに大阪から来ていただき、数曲でしたが試弾していただきました。
思わぬサロンコンサートになり、最後に華を添えていただきました。感謝です。

一日目の夜、食事も済ませてから更に再生に取り組み、なんとか格好のがついてきたところで、もう夜の11時を回っておりましたが、家内がドビュッシーのアラベスクを試弾した時、その落ち着いた灯りの中で、思わず、お話に伺っていた今は亡き元々の持ち主である病院の奥様が出てきて、「ありがとうございました。」と、深々とお辞儀をして頂いたような、不思議な、そしてリアルな体験をしました。
僕も心で応えながら、喜びで胸が一杯になりました。

楽器を再生するということは、今の持ち主だけでなく、その楽器の歴史に関わったいろんな方々にもその喜びを感じていただけるものなんだと、そのピアノの数十年の歴史に、改めて想いを深く巡らせることができ、大変貴重な、いい経験ができました。
このような機会を与えてくれた関係の方々に深く感謝です。ありがとうございました。
古民家「ヌフ松森医院」のドイツ製Schimmel
古民家「ヌフ松森医院」のドイツ製Schimmel
ミンシングナイフ
2021/03/14
僕は調律師という職業柄か、物を作ったりするのが好きで、その流れで料理も趣味と言えるかもしれません。
それで、こんな物を買いました。
ドイツ製のミンシングナイフです。
主にみじん切り用ですね。
ただ、この弓なりの刃物は例えばイヌイットの人たちはこれ一つでアザラシとかの解体までするとか、だそうです。
使い心地ですが、まず、結構よく切れます。
両手で掴んでまな板の上でシーソーのように動かしていくと野菜や肉など、乱切り、みじん切りに仕上がります。
まあ、普通の包丁でもことは充分足りると思いますが、実際今日初めて使ってみて感じたことは、ああ日本人と西洋の人は、物を「切る」感覚が違うのだな、ということ。
例えみじん切り一つにしても、日本の包丁だと、繊細丁寧に切ることができます。
このナイフは、なんか、もっと大胆な、大まかにザクッザクッと切る感じです。
でもそれが食材の大きさとか、でき具合に、ちょうどよいザクザク感のようなものが出て、食べるのが楽しくなります。
どちらが良いとかの問題では決してなく、味に何を求めるのか、ということなんだと思いました。
「切る」という感触に僕にとって全く新しい感覚を味あわせてくれました。
ちょっと大げさかもしれませんが、世界が広がりました。
なんか、西洋の料理に、「ああ、そういうことだったのね。」という納得感が生まれました。
ミンシングナイフ
ミンシングナイフ
♪ピアノのやくそく♫
2020/07/28
先日お邪魔したお宅のピアノの横にこんなカワイイ張り紙が。
訊いたら、奥様が4歳の息子のために書いて貼ってあるそうで、とてもカワイイその筆跡に思わず写真を撮らせていただきました。

こんなほっこり雰囲気でいつもピアノが弾ければ、それは幸せなことですよね。
しかもピアノを弾くのが男の子。
がんばれー!
♪ピアノのやくそく♫
♪ピアノのやくそく♫
合唱指揮者小柴信之氏の訃報
2020/06/13
ちょっと私的な話になりますが、僕が所属する合唱団「うたおに」の指揮者兼団長の小柴信之が、癌により6月9日に亡くなりました。
3年半の闘病生活、などと言うのを忘れるほどの、病院に通いながらの合唱活動を精力的に、それこそ命をかけて続けてきたものの、ここに来てコロナ騒動により3月からうたおにそのものの活動も中止になり、闘病に専念していた矢先でした。
12日、多くの参列者の中、告別式も終えました。最後はご家族の望みにより全員合唱と、我々うたおに男声メンバーに担がれての出棺では参列者全員からの鳴り止まぬ拍手、それに「ブラヴォー!」の掛け声。
彼らしい、素晴らしい感動的な幕引けでした。悲しい、無念な、でも勇気を持って前に進まなくては、という彼のメッセージも心にしっかり感じ、最後のお別れをしてきました。
大事な友を無くしました。

僕がうたおにに入団してから25年、長い、濃い付き合いをしてきました。
今はまだ彼がいなくなった実感がわきません。コロナ自粛により何ヶ月も会ってないこともあるのかもしれませんが、でも確実に寂しさはいやでも襲ってきます。
救いは、長男のともくん(同じ団員)がたくましく変身しつつあること。
喪主としての当日の佇まいは、今までより、もっと言えばその前日よりも確実に進化していたと強く感じました。
きっと小柴氏はこれからは空の彼方からともくんやご家族、うたおにのことを見守ってくれるのだろうと思います。
常に、どんな時も明るく前向きだった彼の面影を心の奥底に留め、僕も負けないように、これからも明るくそして前向きに生きていきたいと思います。
人生まだまだこれからです。
合唱指揮者小柴信之氏の訃報
合唱指揮者小柴信之氏の訃報
コロナと挑戦
2020/05/13
コロナ騒動で4月は多少の仕事と買い物などのほかはほとんど家にいました。
時間がたくさんあったので、いろんなことを考えることができました。
仕事のことはもちろん、広く世の中の移り変わりのことや、好きな料理のこと(趣味です)、とりわけ人と人との関わりや社会のことなど、今まで考えてもみなかったことを考えることができました。
例えば、ちょっと外に出た時などの他の人との接触に妙にお互い優しさや気遣いを感じてホッと暖かい気分になったり、またこんな中でも働いている人達がたくさんいて、その人たちに対する感謝の気持ちなんて今までは特に感じてこなかったことをあらためて気づかせてもらったり、豊かな生活ってほんとはどういうことなんだろうとか、あらためて考えさせられました。
もう前の世界には戻れない、そんな気がします。この騒動が収まったら、今までとは違った新しい価値観の元での大げさに言えば新時代が始まるのかもしれません。
そんな時代の変わり目を私達は今、目撃しようとしているのかもしれません。
だからこそ、今、これから真にするべきこと、ライフワークである調律の仕事はもちろんのこと、人との繋がりの中での自分の役割を考えなおし、自分に正直に、世の中の現象を素直に捉え、未来を考えていく、そんなふうに残りの人生、いや、まだまだあるこれからの人生を生きていきたいものだと思います。

僕にとって生きている証は、やはりいい調律をする、これがどうしても一番です。
それがどんな調律かは言葉ではなかなか言い表しにくいのですが、とにかく「音」だけで自分の価値観とか美意識とかを表現できる、そしてそれがピアノを弾く人に何かしらの影響を与えて、そこに更に素晴らしい音楽が生まれる、そんな調律を目指したいと思います。いやそれはすぐそこまで来ている、見えているような気がするのですが、それは若い頃にほんの気楽な気持ちで登ってみた富士山のように、登れども登れども頂上に着かない(結局その時は途中で引き返しましたが)、それと似たようなものかもしれません。
でもきっと、あの頂上まで、今度こそは登りつめる、そんな決意でこれからの人生を歩んでいこうと思います。
挑戦です。
コロナと挑戦
コロナと挑戦